剣劇三國志演義〜孫呉

 遂にはてブのアカウントを作っちゃった!IDがgoodnightな時点でかわいそう。
 殺陣が大好きなので去年の12月に解禁されてからずっと楽しみだった剣劇三國志。今年の舞台現場初め、わたしが見たいものが全部詰まった御守りみたいな作品で、桜も散ったのにまだあの雪原に取り残されています。
 三國志は今回初めて触れた荒牧担の感想なので悪しからず😿 星の数ほど書きたいことはあったのに、断金の話をして燃え尽きました。

 孫策、狂い咲きの花みたいなひと。
 傍から見たら死に急いでいるようにしか見えない。でも、太史慈に「お前に死んで欲しいと思ってるのはお前だけだよ。生きろよ」と言うのを見る度に、孫策は死にたかったわけじゃなくて死にたいほどの苦しみの中で懸命に生きようとした結果があの最期なんだな……と気付かされていました。苦しい。
 韓当は「恋人殺されたり親殺されたりするバカみたいな世界」を変えたくて孫策の国造りの夢を応援するわけだけど、孫策もまたその世界の犠牲者だという事実がどうしようもなくやりきれないです。天下統一がフィクションで描かれるとき、どうしても大義とサクセスストーリーがあるから忘れがちだけど、主人公たちが倒すのは誰かの親であり恋人かもしれない。人を殺すというのは返り血の感覚を一生忘れられないほどの痛みで、国造りの夢を叶える手段は誰かの明日を奪う"戦争"だということ。それを血が見えない舞台上でありありと見せつけた剣劇三國志の脚本と演出と演技が大好きです。
 正気と狂気の狭間が奮う剣にも宿っているのが伝わってくる修羅の殺陣、怖くて目が離せなかった。捨て身の特攻、鬼の形相でも返り血に一瞬反応するの見ているだけで痛かったです。

 周喩、凛と咲いて生きることを選んだひと。
 孫策が突拍子もないことを言い出したとき、困った顔で唇を噛み締めてから援護に回るまでの逡巡が好き。寝室に入って孫策に話しかける前、過呼吸になりながら必死に心の準備をしている姿が好き。束の間正気に戻った孫策に隣に座れと寝台を叩かれて、のろのろと俯いて近づいていく俯いた顔に浮かんだ絶望が好き。雪原で背後の孫策が倒れたとき、咄嗟に振り向けない背中の悲しさが好き。孫策の亡骸の足元に縋り付いて、彼の最期を一生墓場まで持っていく覚悟を決めるまでの震える心が好き。「兄上の最期の言葉を聞いて嬉しかった」と孫権に言われて、そっと逸らした目が好き。
 書き起こしたらキリがないくらい、周瑜という人間の大好きなところがいっぱいあるよ。
 呉の国の未来を思い描く孫策に誓った絶対は、あの日自分の物語を語り継いでくれと月に願った孫策への最高の返歌だと思いました。
 おやすみなさい、私の伯符。孫策大将軍は永遠に皆の英雄だけれど、伯符は公瑾の前で静かに永遠に眠りについたんだなぁ。あの井戸の前で、一緒に眠った寝室で、本当の意味でいえなかったおやすみを伝えられたのかな。
 世界でいっとう好きな荒牧くんの殺陣、手首の使い方が特に好きでずっと見ていたかったです。くるりと刀を回す度、戦っているのに舞っているみたいで綺麗だった。剣を教えてくれたのは孫策だから腕は孫策が一枚上手だとわかるのが、最後狂気に飲まれた孫策を止めようとして割って入るも勝てないところなの、残酷。

 

 井戸の前での、孫策を正気に戻したら自分は隣にいられないのではないかという葛藤。正気の君じゃなくても良いから隣で同じ夢を見させて、が内包されてるの、周喩の弱さと人間らしさが詰まっていて大好きな台詞です。
 周瑜にもっと勇気があれば、隣にいられなくても同じ夢を見られなくても、恨まれたっていいと思えたならこんなことにはならなかったのかもしれない。でもそんな周瑜の為なら、繊細な孫策はいつだって頑張れた。
 周喩と出会わなければ孫策は繊細な自分を殺して頑張らずにもっと生きられたのかな。例えそうだとしても、孫策が最後に告げた「会えてよかった、お前に」が全てだと思います。
 
 ふたりが共に見た夢が行き着いた果ては初雪が降り積もる雪原。
 冒頭でいっとう頭が良い男と親友に称された周喩はその頭脳を悩みに悩ませて、優しい嘘をつく。あの場で周喩が嘘を選んだのは、親友を正気に戻すためじゃない。父親の幻覚に睨まれて何も成せない自分を責めて敵を討てなかったことに絶望しながらひとりぼっちで死なせたくなかったから、ただそれだけの祈りだということが胸を打ちました。最期にその目に映すのが悪霊ではなく、父親の眠る穏やかな空であるように。胸に燃えたぎる地獄の業火を雪が優しく消して、天国に行けるように。
 心が弱っているひとに頑張れとか強くいろとは言っちゃいけないというのが一般的だと思うんだけど、「自分の前では強くありたかった伯符」を守るために敢えて「我が親友よ、あなたは強い!」と言った周瑜の言葉にはどんな正論をも捩じ伏せるほどの愛情と覚悟が詰まっていた。あの場で伯符が欲しかった言葉は、逃げていいよでもなく、弱くてもいい、でもないことを周喩がいちばんよくわかっているもんね。
 赤い紙吹雪が散って孫策の命はどんどんと零れ落ちていくのに、「涙を流しているところなんて見たことないもんな」と言われて「俺にはそういう弱い部分がねぇのよ」と笑う孫策の表情は晴れやかで美しかった。命の散り際も花と同じなのかな。
 
 「こわくてしかたないんだ。おねがい、おねがいだよ」と言うところ、途中から甘えた子供っぽい声に変わっていったよね。「自分が泣いてるとすぐ飛んできてくれた強く勇ましい伯符」を呼び戻す為に態とあの頃みたいな声で喋ってるんだろうな……と思って心臓が握り潰されそうな気持ちでした。どれだけ狂気に飲み込まれても、孫策周喩が泣いたら動揺するし、周瑜に泣きつかれたら守りたいし、かっこよく強くあろうとするんだよ。やっつけた!のところも手を伸ばして周喩が幼い仕草をするの。あの頃に戻ったみたいに。

 壊れてしまった人の心はもう戻らない。物語であってもそこに魔法の力はない。どれだけ言葉を尽くしても狂ってしまった親友を正気には戻せない。復讐は果たせないまま、父親と同じ刃に倒れる。傍から見たら不幸で、世界がどれだけ彼を哀れんだとしても、きっと孫策に降った雪は安らかなものだったのだと思う。そう信じたいです。
 剣劇と銘打った作品で、金属をも断つことができるほどの固い絆と評されるふたりが最後の最後に一緒に斬ったのが本当は存在しない幻覚だったこと、こんなに美しい結末はあるんだと息を飲んだ気持ち、大切に鍵をかけて忘れたくないなぁ。

 一幕が終わって、連番した友達が「あんな愚かな死に方ってある……?」と呟いていたのがとても胸に刺さったんだけど、劉表がなんと愚かな……と嘆いたように、一国の王という立場から見れば孫策の死は愚行なのかもしれません。だからこそ、周瑜はこの先そんな親友の死を徒花にしない為に生きていくんだと思う。
 周喩の人生はまだまだこれから花開いていくのだろうけど、公瑾としては余生なのかもしれないね。孫策と居た頃は表情豊かだった周喩が、盟約の儀で凛と研ぎ澄まされた表情で口を引き結んでいるのを見るにつけそんなことを考えさせられます。
 孫策のいない世界で、孫策の人生を徒花じゃなくていつか呉の国に咲く大輪の桃の花にする為に生きていくと決めた周喩の瞳には、自分を優しく見つめる親友の姿は映らない。これから生きていく間であれより美しい景色はもう見られない。そう思うくらい、優しくて綺麗な最後でした。

 死者を思い出す度に天国のそのひとの周りには花が降ると言うけれど、周瑜孫策のことを思い出すときは梅の花がはらはらと落ちるのかな。案外花ではなくて、ふわふわの初雪かもしれないね。街中に咲く花を見る度に、そんなことばかり考えています。限界かも。

 さよならだけが人生ならば、また来る春はなんだろう。
 これから何度春が巡っても、どんな物語に出会っても、あの日ふたりに舞い落ちた雪が確かに優しかったことをきっとずっと忘れない、忘れたくないです。
 壊れてしまったひとの心は戻らない。物語であってもそこに魔法の力はない。けれど、確かに演劇が持つ魔法の力を教えてくれた御守りみたいな作品でした。また季節が巡るいつかどこかで、剣劇三國志の続きを見られますように。

 またひとつ、荒牧くんを好きになった自分のことを誇るべき思い出が増えました。これからもひとつずつ大切に数えていきたいです。大好き!!!!!!