いつか彼岸で待ち合わせ

荒牧慶彦さんのおたくでした

剣劇「三國志演技〜曹魏」

 剣劇三國志演技〜曹魏千穐楽の幕が降りてから、あっという間に年始を迎えたけれど、わたしの心の中では未だに消えない炎が燃えている気がする。もう二度と同じ日の出を見られない二人を思いながら、感想を綴ります。

 愛を焚べた業火の果てに、燃え残った祈りを見つめ続ける。苦しくもかけがえのない時間でした。

 

 曹操。愛したものを全て燃やして、ひとり修羅を歩いていく男。

 強くて残酷な曹操が弱く優しい袁紹によって腑抜けになっていってしまう。仲間たちの瞳にはそう映るけれど、元来の曹操は繊細な弱さを冷酷さで隠している男なのではないか。袁紹に握らされた花輪を振り払えない曹操を見てそう思いました。

 見知らぬ少女と共に敵兵の墓を作り、そのお礼に貰った花輪を捨てられない曹操は「敵を人として埋めた」自分に傷ついている。敵を、誰かに愛されている赤い血の流れるひとりの人間だと思い知ったら何も考えずに殺せないから。冷酷だから人を殺せるのではなく、人だと認識しないようにしたから冷酷な男でいられた。

 堂々と出てこられないなら会いに来なければ良いと突っぱねられても、自分が利用されていると気がついても、袁紹はいつだって優しく笑って曹操が必死に作った棘を全部抜いてその手に花輪を握らせてしまう。そうやって、剥き出しの心の柔らかい部分に触れられた曹操は心を取り戻して、人を殺す虚しさ、恐ろしさに亡霊を見るようになっていくのです。呂布を幾度となく刺し、その人生を蔑み、命を奪っても、傷ついているのは曹操の方で、目を覆いたくなるほどに痛かった。

 そんな曹操の人間らしさを否定して冷酷な王の器だけを求めるのが荀彧で、弱さに気付きつつそれでも強い曹操を愛しているのが夏侯惇で、ありのままの曹操を「そういう人間だと信じていたよ」と言うのは袁紹ただひとりだった。曹操は決して孤独ではないのに、その瞳には袁紹しか映らなくなっていく。夏侯惇のやりきれなさを思うと切ないけれど、地獄を共に歩むという覚悟は死に水を取るときにはきっと伝わっていたはずです。

 

 袁紹。親友を修羅に走らせても尚、穢れなき涙を流す男。

 戦いたくない、何も決めたくない、優柔不断で優しくて甘い夢を見るジュリエット。そんな袁紹の弱さと相対する曹操の強さは終盤になって反転します。

 思えば、袁紹は自分のために数多くの臣下たちが命を落とし、家族のように思う顔良文醜を喪ったことに絶望しても、曇らない魂を持っていた。世界の哀しみを全て見ても、瞳が濁らなかった。愛されていない人間などいないことを理解しながら、流れる血を見ても正気でいられた。曹操にはない強さを袁紹は持っていたのかもしれないね。お互いそれに気がつけなかったけれど。

 曹操に世界なんて放り出してふたりで逃げたいと縋られたときの袁紹は、俯いて緩やかに首を振ったように見えました。千穐楽、幻滅したよと言って刀を向けた顔には一筋の涙が零れ落ちました。

袁紹が無価値だと罵った「乱れた世を前にしてただ逃げたいと願う男」は曹操だけでなく、あの日塔の上で昔に戻りたいと願った袁紹自身も含んでいるのではないか。失望と哀しみの底に見える怒りを見てふと思いました。後にも先にも袁紹曹操に対してお前と言ったのはあの日だけなので。

 顔良文醜の死を悼むと同時に、名も知らぬ自分の軍の兵士たちの人生を思い、果ては一度出会っただけの呂布の死にさえ心を痛める。博愛主義の袁紹だからこそ、ふたりで見た夢と世界を天秤にかけて世界を選び、その全てを斬り捨てる恐ろしいまでの覚悟を持つことができたのだと思います。

 

 命の重さは平等なのか。

 乱世の三國志の時代においては、否でしょう。

 戦場に野晒しにされる名も無き雑兵。袁紹の作る平和を信じて死んでいった顔良文醜。自分を裏切った子分たちに生きろと叫びながら事切れた呂布。そんな呂布の願いも虚しく、荀彧に殺されたかもしれない子分。袁紹の計画も知らされず、袁家と共に無念の中滅びていった臣下たち。乱世の風が命を吹き飛ばしていく時代だからこそ、どの死も重く客席にのしかかってくるのでした。

 乱世に救いなどなく、いつだって命は不平等で、弱者は生き方を選べず、強者は死に場所を選び、王の器は共に死ぬことすら許されない。

 自分の名前は歴史に残るのか、命に意味はあるのか。そう零した顔良は、袁紹が作る平和な世界を信じて死んでいきます。文醜関羽に勝てないと悟りながら、誇りの為、そして顔良の為に散っていくのです。文醜顔良は王の器ではないから命を賭しても世界を切り開くことはできない。その代わりに大切な人と共に死に場所を選ぶことができた。生きていたら袁紹の選択を最も受け入れられなかったのはこのふたりだと思うから、知らずに死ねたのはある意味救いだったのかもしれません。それと同時に、袁紹が作る平和の為に命を賭したふたりがいる限り、この物語は紛れもないバッドエンドなのだとも思います。

 袁紹が作る未来が自分たちの命に価値を与えてくれると信じて共に散っていった顔良文醜、命を賭して世界を変えることができるけれど共に生きることも死ぬことも選べない曹操袁紹。幸か不幸か、それを選び取るために歴史は作られていくのかな。

 

 弱さと強さは対岸にあるのか。

 優しいせいで優柔不断と称された袁紹は、世界を曹操に託して愛する家族と自分を信じてくれた臣下たちを道連れに滅びる道を選ぶ。許攸に裏切り者として生きていけと告げながら、自らは身内に裏切られた暗愚として死ぬことを決める。曹操軍に攻められた際に去るものは追うな、と命じるけれど、何十万もいる兵士が全員逃げられるわけもなく、袁紹が作る平和を願った彼らが失意の中で無駄死にすることをあの場にいる全員がわかっている。臣下には何も告げるつもりはないというのは、より多くの命を救う為に徒花と散れと命じるに等しい、残酷な決断です。

 全てを愛したまま、全てを切り捨てる。僕と死んでくれと命じながら、最後まで臣下たちの前で涙を流す袁紹は、弱くある為の強さを持っていた。曹操袁紹が互いに憧れた強さと弱さは、対岸にあるものではなく、併せ持つものではないだろうか。

 剣劇の脚本演出の末原拓馬さん主催のおぼんろ本公演「ラルスコット・ギグの動物園」を9月に観劇した際に、「弱くあるには強くなくちゃいけないんだ」という趣旨の台詞が胸に残ったのだけれど、その言葉を幾度となく反芻した二週間でした。

 強さと弱さは表裏一体なのかもしれないね。それにもっと早く気付いていたらふたりの未来は違ったのだろうか。lfをどれだけ並べても、王の器は時代にひとつしか要らないと思い至ってしまう。乱世はかくも残酷なのです。

 

いつか彼岸で待ち合わせ

 袁紹は白旗をあげてもそれが血で染まった旗じゃないことを喜べる自分のままでいたいと願った。ひいては綺麗なままでいたいというのと同義だと思うけれど、それは土台むりな話なのではないだろうか。

 袁紹に未来を託された曹操は、代わりに鬼となって袁紹軍の黄色い旗を燃やし、自らの青い旗を血で染めて修羅の道を歩んでいく。

「お前とふたりでな」「喜んで」

 あの日願った叶わぬ約束は袁紹の覚悟を乗せた旗と共に燃やされ、二人だけの永遠になった気がする。それは訣別であり、弔いにも似ていました。

 願いを託した時点で共犯だと心のどこかで袁紹は気づいている。花輪が似合う君を修羅に走らせた自分の残酷さを知っているから。

 生きて二度と会えないふたりがやがて辿り着く場所は同じ地獄なのだろうか。ならばせめて、曹操が夢ですら望めなかった風車が、その足下にそっと咲いていることを願います。

 

 史実の彼らが乱世の空に願った全ての夢に思いを馳せて。この物語がどうかわたしの中で永遠に燃え続けますように。巡る夏、荒牧くんが大好きな人たちと描く蜀漢の物語を愛す日を夢見て眠りにつきます。真剣演劇をありがとうございました。

 

剣劇三國志演義〜孫呉

 遂にはてブのアカウントを作っちゃった!IDがgoodnightな時点でかわいそう。
 殺陣が大好きなので去年の12月に解禁されてからずっと楽しみだった剣劇三國志。今年の舞台現場初め、わたしが見たいものが全部詰まった御守りみたいな作品で、桜も散ったのにまだあの雪原に取り残されています。
 三國志は今回初めて触れた荒牧くんの一おたくの感想なので悪しからず😿 星の数ほど書きたいことはあったのに、断金の話をして燃え尽きました。

 孫策、狂い咲きの花みたいなひと。
 傍から見たら死に急いでいるようにしか見えない。でも、太史慈に「お前に死んで欲しいと思ってるのはお前だけだよ。生きろよ」と言うのを見る度に、孫策は死にたかったわけじゃなくて死にたいほどの苦しみの中で懸命に生きようとした結果があの最期なんだな……と気付かされていました。苦しい。
 韓当は「恋人殺されたり親殺されたりするバカみたいな世界」を変えたくて孫策の国造りの夢を応援するわけだけど、孫策もまたその世界の犠牲者だという事実がどうしようもなくやりきれないです。天下統一がフィクションで描かれるとき、どうしても大義とサクセスストーリーがあるから忘れがちだけど、主人公たちが倒すのは誰かの親であり恋人かもしれない。人を殺すというのは返り血の感覚を一生忘れられないほどの痛みで、国造りの夢を叶える手段は誰かの明日を奪う"戦争"だということ。それを血が見えない舞台上でありありと見せつけた剣劇三國志の脚本と演出と演技が大好きです。
 正気と狂気の狭間が奮う剣にも宿っているのが伝わってくる修羅の殺陣、怖くて目が離せなかった。捨て身の特攻、鬼の形相でも返り血に一瞬反応するの見ているだけで痛かったです。

 周喩、凛と咲いて生きることを選んだひと。
 孫策が突拍子もないことを言い出したとき、困った顔で唇を噛み締めてから援護に回るまでの逡巡が好き。寝室に入って孫策に話しかける前、過呼吸になりながら必死に心の準備をしている姿が好き。束の間正気に戻った孫策に隣に座れと寝台を叩かれて、のろのろと近づいていく俯いた顔に浮かんだ絶望が好き。雪原で背後の孫策が倒れたとき、咄嗟に振り向けない背中の悲しさが好き。孫策の亡骸の足元に縋り付いて、彼の最期を一生墓場まで持っていく覚悟を決めるまでの震える心が好き。「兄上の最期の言葉を聞いて嬉しかった」と孫権に言われて、そっと逸らした目が好き。
 書き起こしたらキリがないくらい、周瑜という人間の大好きなところがいっぱいあるよ。
 呉の国の未来を思い描く孫策に誓った絶対は、あの日自分の物語を語り継いでくれと月に願った孫策への最高の返歌だと思いました。
 おやすみなさい、私の伯符。孫策大将軍は永遠に皆の英雄だけれど、伯符は公瑾の前で静かに永遠に眠りについたんだなぁ。あの井戸の前で、一緒に眠った寝室で、本当の意味でいえなかったおやすみを伝えられたのかな。
 世界でいっとう好きな荒牧くんの殺陣、手首の使い方が特に好きでずっと見ていたかったです。くるりと刀を回す度、戦っているのに舞っているみたいで綺麗だった。剣を教えてくれたのは孫策だから腕は孫策が一枚上手だとわかるのが、最後狂気に飲まれた孫策を止めようとして割って入るも勝てないところなの、残酷。

 

 井戸の前での、孫策を正気に戻したら自分は隣にいられないのではないかという葛藤。正気の君じゃなくても良いから隣で同じ夢を見させて、が内包されてるの、周喩の弱さと人間らしさが詰まっていて大好きな台詞です。
 周瑜にもっと勇気があれば、隣にいられなくても同じ夢を見られなくても、恨まれたっていいと思えたならこんなことにはならなかったのかもしれない。でもそんな周瑜の為なら、繊細な孫策はいつだって頑張れた。
 周喩と出会わなければ孫策は繊細な自分を殺して頑張らずにもっと生きられたのかな。例えそうだとしても、孫策が最後に告げた「会えてよかった、お前に」が全てだと思います。
 
 ふたりが共に見た夢が行き着いた果ては初雪が降り積もる雪原。
 冒頭でいっとう頭が良い男と親友に称された周喩はその頭脳を悩みに悩ませて、優しい嘘をつく。あの場で周喩が嘘を選んだのは、親友を正気に戻すためじゃない。父親の幻覚に睨まれて何も成せない自分を責めて敵を討てなかったことに絶望しながらひとりぼっちで死なせたくなかったから、ただそれだけの祈りだということが胸を打ちました。最期にその目に映すのが悪霊ではなく、父親の眠る穏やかな空であるように。胸に燃えたぎる地獄の業火を雪が優しく消して、天国に行けるように。
 心が弱っているひとに頑張れとか強くいろとは言っちゃいけないというのが一般的だと思うんだけど、「自分の前では強くありたかった伯符」を守るために敢えて「我が親友よ、あなたは強い!」と言った周瑜の言葉にはどんな正論をも捩じ伏せるほどの愛情と覚悟が詰まっていた。あの場で伯符が欲しかった言葉は、逃げていいよでもなく、弱くてもいい、でもないことを周喩がいちばんよくわかっているもんね。
 赤い紙吹雪が散って孫策の命はどんどんと零れ落ちていくのに、「涙を流しているところなんて見たことないもんな」と言われて「俺にはそういう弱い部分がねぇのよ」と笑う孫策の表情は晴れやかで美しかった。命の散り際も花と同じなのかな。
 
 「こわくてしかたないんだ。おねがい、おねがいだよ」と言うところ、途中から甘えた子供っぽい声に変わっていったよね。「自分が泣いてるとすぐ飛んできてくれた強く勇ましい伯符」を呼び戻す為に態とあの頃みたいな声で喋ってるんだろうな……と思って心臓が握り潰されそうな気持ちでした。どれだけ狂気に飲み込まれても、孫策周喩が泣いたら動揺するし、周瑜に泣きつかれたら守りたいし、かっこよく強くあろうとするんだよ。やっつけた!のところも手を伸ばして周喩が幼い仕草をするの。あの頃に戻ったみたいに。

 壊れてしまった人の心はもう戻らない。物語であってもそこに魔法の力はない。どれだけ言葉を尽くしても狂ってしまった親友を正気には戻せない。復讐は果たせないまま、父親と同じ刃に倒れる。傍から見たら不幸で、世界がどれだけ彼を哀れんだとしても、きっと孫策に降った雪は安らかなものだったのだと思う。そう信じたいです。
 剣劇と銘打った作品で、金属をも断つことができるほどの固い絆と評されるふたりが最後の最後に一緒に斬ったのが本当は存在しない幻覚だったこと、こんなに美しい結末はあるんだと息を飲んだ気持ち、大切に鍵をかけて忘れたくないなぁ。

 一幕が終わって、連番した友達が「あんな愚かな死に方ってある……?」と呟いていたのがとても胸に刺さったんだけど、劉表がなんと愚かな……と嘆いたように、一国の王という立場から見れば孫策の最期は愚行なのかもしれません。だからこそ、周瑜はこの先そんな親友の死を徒花にしない為に生きていくんだと思う。
 周喩の人生はまだまだこれから花開いていくのだろうけど、公瑾としては余生なのかもしれないね。孫策と居た頃は表情豊かだった周喩が、盟約の儀で凛と研ぎ澄まされた表情で口を引き結んでいるのを見るにつけそんなことを考えさせられます。
 孫策のいない世界で、孫策の人生を徒花じゃなくていつか呉の国に咲く大輪の桃の花にする為に生きていくと決めた周喩の瞳には、自分を優しく見つめる親友の姿は映らない。これから生きていく間であれより美しい景色はもう見られない。そう思うくらい、優しくて綺麗な最後でした。

 死者を思い出す度に天国のそのひとの周りには花が降ると言うけれど、周瑜孫策のことを思い出すときは梅の花がはらはらと落ちるのかな。案外花ではなくて、ふわふわの初雪かもしれないね。街中に咲く花を見る度に、そんなことばかり考えています。限界かも。

 さよならだけが人生ならば、また来る春はなんだろう。
 これから何度春が巡っても、どんな物語に出会っても、あの日ふたりに舞い落ちた雪が確かに優しかったことをきっとずっと忘れない、忘れたくないです。
 壊れてしまったひとの心は戻らない。物語であってもそこに魔法の力はない。けれど、確かに演劇が持つ魔法の力を教えてくれた御守りみたいな作品でした。また季節が巡るいつかどこかで、剣劇三國志の続きを見られますように。

 またひとつ、荒牧くんを好きになった自分のことを誇るべき思い出が増えました。これからもひとつずつ大切に数えていきたいです。大好き!!!!!!